
11月末、世田谷文学館へ行ってまいりました。

現在開催中のコレクション展「戦後70年と作家たちⅡ」を拝見しました。
以前の展示では戦前から戦中を、今回は戦後から復興までの過程を取り上げています。

入り口に掲げてあるのは坂口安吾と三島由紀夫の言葉
坂口安吾は堕落論からの「生きよ堕ちよ、……」の一節です。
そして三島由紀夫の言葉は、終戦直後に自身が、雑誌「人間」の編集長である木村徳三に宛てた手紙から抜粋されたものでした。
「僕は文学の永遠を信じてゐます。それがあまりにも脆く美しく永遠に滅びつつある故です。僕は文学の絶えざる崩壊作用の美しさを信ずるのです。作者の身が粉々になる献身の永遠を信ずるのです」

展示の冒頭部分では、作家たちが戦争を振り返った作品が並びます。
海野十三の「海野十三敗戦日記」、横光利一の「夜の靴」。
海野十三は科学者として自分の研究が戦争に使われてしまったのではないかと嘆き、一時はペンネームを変えました。その後は戦争が二度と起こらないようにと願いながら創作活動を再開します。
横光利一は戦争協力をしたと批判され、書くことを止めてしまったままこの世を去りました。
戦後もすぐに言論の自由が認められた訳ではありません。今度はGHQによる検閲が行われたのです。
例えば、雑誌「人間」創刊号の表紙。

二人の裸婦が手を後ろに組んで歩いて行く様が「捕虜に見える」という理由でGHQから規制を受けました。
それでも戦争中に自由な言葉を失っていた反動からか、数多くの雑誌が新創刊されます。

最後を締めくくるのは、展示に登場した人びと、それぞれの昭和20年。
作家たちが戦争で多くを失い、翻弄されながらも、それでも未来を見据えていたことが伝わりました。
戦争を知らない私たちの世代だからこそ、見ておかなくてはいけない展示かもしれません。
帰りには、文学館から歩いて5分ほどの距離にある蘆花公園を散歩してきました。


明治から大正にかけて活躍した作家・徳富蘆花の旧宅が公開されています。
寒くなってまいりましたが、暖かい格好をして休日の昼下がりに散歩にでかけてみてはいかがでしょうか。
世田谷文学館コレクション展 「戦後70年と作家たちⅡ」展示期間2016年4月3日(日)まで
◆
世田谷文学館への行き方 (リンクを貼ってあります。クリックして下さい)
京王線「芦花公園(ろかこうえん)」駅より徒歩5分
reported by kurosuke
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- 2016/01/25(月) 10:35:16|
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7月末、練馬区立石神井公園ふるさと文化館 分室へ行ってきました。

夏の強い日射しの中、石神井公園の緑が目に入るだけで体感温度が下がりました。
少年サッカーチームが芝生の上で弁当を食べ、テニスコートからはボールを打つ音が聞こえてきます。
夏休み。
公園の中に、ふるさと文化館の分室があります。
石神井公園は江戸時代からの行楽地でした。
三宝寺池の湧水で涼をとっていたのでしょう。
その後大正時代には東京市内から鉄道がひかれ、池の畔に料亭「豊島館」(後の石神井ホテル)も建設されました。

その後も都心から近く自然の多いこの場所に魅せられた人々が集まってきました。
作家・檀一雄もそのひとりです。
檀は山梨県に生まれ、少年期を福岡県で過し、東京帝国大学に入学時に上京します。
結婚後の昭和17年から石神井周辺に住むようになりました。

檀の周囲には、彼の人柄に魅せられた文化人がいつも集まっていました。
井伏鱒二、太宰治、坂口安吾、尾崎一雄、中原中也、草野心平、そして佐藤春夫。
三田文学関係者もいますね。
中でも、太宰治とは
「『君は―(中略)天才ですよ。たくさん書いて欲しいな』」(檀一雄『小説 太宰治』)
「檀君の仕事の卓抜は、極めて明瞭である。(中略)前人未到の修羅道である(太宰治『檀君の近業について』)
と互いを認め合いながらも、
「溺れる者同士がつかみ合うふうに、お互いの悪徳を助長」(檀一雄『青春放浪』)
するという密接な時間を過しました。
また、檀は佐藤春夫を慕っており、佐藤も檀の才能を早くから評価します。
檀が第一短編集『花筐』(はながたみ)を上梓するまえに、太宰を連れて佐藤の家を訪れました。
『花筐』の表紙を佐藤に描いてもらうようにお願いするためです。
佐藤は気軽に承諾したあとに、「『何を描くかな、えー花筐と……』」と悩みはじめます。
太宰も一緒になって考えた末、「『花だから蝶。先生、蝶はどうかしらん……』」と提案すると、佐藤も殊の外喜んで「一決」しました。
「だから『花筐』の表紙の蝶は先生の寛大な彩色によると同時に、太宰の発想が添えられているものだった」(檀一雄『小説 太宰治』)

また『小説 太宰治』の表紙の絵は太宰の描いた花に彩られ、佐藤春夫の題字が添えられています。

『花筐』の出版記念会の予告日に動員令を受けた檀は、陸軍報道班員として従軍しました。そして終戦後に再び上京し、石神井に居を構えます。
この土地は壇にとって、亡妻律子、そして太宰たちと過した青春の思い出が色濃く残っていたのでしょう。
1974年に福岡県能古島へ転居するまで、檀は石神井を中心に活動し、彼を慕う仲間が集っていたのです。
坂口安吾は妻と愛犬を連れて檀宅の一室を借り、2か月近く逗留しましたし、他にも、眞鍋呉夫、前田純敬、五味康祐、庄野潤三などの作家が石神井周辺に居住していました。

(五味康祐のオーディオセット 練馬区立石神井公園文化館 分室内に展示)
ひとりの作家を中心に、石神井には文化サロンが形成されていたのです。
檀自身の魅力、面倒見の良さ。そして自然が多く明るい雰囲気の土地。
1951年に檀は直木賞を受賞。1953年に五味が芥川賞(選考委員に坂口安吾)、1955年には庄野も芥川賞を受賞しました。
地域という視点から作家の交友関係をひも解いていくことで見えてくる文学史があるということを、まのあたりにできた1日でした。
その土地に根差した研究を熱心に続ける方たちの大切さをしみじみと嚙みしめながら石神井公園内を散歩していると、ひときわ大きなトンボが木陰で昼寝をしていました。

ヤブヤンマです。
夕方になると高所で捕食をし、日中はその名のとおり藪の中で静かに息をひそめているため、普段は人目につかないトンボなのだと、大きな日よけ帽子を被ったご婦人が教えてくださいました。
本当に幸運な1日だったようです。
暑さも少しだけ和らいでまいりました。
石神井公園文化館分室を見学した後に、池のほとりで幸運のトンボを探してみてはいかがでしょうか。
企画展『志と仲間たちと――文士たちの石神井、美術家たちの練馬――』9月27日まで開催しております。
〈参考文献〉 図録「志と仲間たちと―文士たちの石神井、美術家たちの練馬―」
図録「檀一雄展」
◆
練馬区立石神井公園ふるさと文化館(リンクを貼ってあります。クリックして下さい)
(注) 文化館と分室は徒歩で10分弱離れております。
西武池袋線 石神井公園駅 / 西口から徒歩15分
西武新宿線 上石神井駅 / 北口から徒歩30分
西武バス 荻 15 「石神井郵便局」バス停より徒歩1分
西武バス 吉 60 「石神井郵便局」バス停より徒歩1分
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- 2015/08/24(月) 11:50:05|
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今年の五月は暑かったですね。
エルニーニョ現象という言葉をよく聞きます。意味は中学生のころに習ったはずなのですが……。
さて、台東区立 一葉記念館へ行ってまいりました。

館は、樋口一葉が貧しい生活を送りながら「たけくらべ」の構想を得た下谷龍泉寺町の旧宅跡から程近くにあります。
土地柄なのでしょうか、静かで落ち着いた雰囲気のある街です。
まずは3階の企画展、檜細工師・三浦宏さんによるミニチュア模型作品、「一葉の世界」が広がっていました。
一葉が幼少期を過ごし、後に懐かしんだ「桜木の宿」

「大つごもり」で主人公・お峰が奉公に出ていた山村家

「にごりえ」の舞台になった銘酒屋・菊の井。

江戸から明治の歴史、文化にまで精通している三浦さんの作品に加え、小説のあらすじも紹介されているので、更に臨場感が増していきます。
特に圧巻だったのは、下谷龍泉寺町時代の一葉旧居。

一葉が営む商店の品物まで細かく再現されており、店の奥の居住部分まで入って行きたくなる。
身体さえ小さくなれば、模型内で暮らすことができてしまう程の細密さでした。

2階は常設展です。
一葉の生涯を見ることができます。

「一葉」という筆名が初めて使われたのは、明治24年に村上浪六の『三日月』序文の写しとその感想を書いた資料ですが、
日記に「水の上」という表題をつけるようになった頃から、自分の筆名を特に意識した処世観をもつようになったといいます。
自分を流れに乗る舟と考えて、文壇や世間からの称賛を冷静に受け止めていました。
自分が女性であるがゆえの一時の狂騒に過ぎず、熱が冷めれば見返る者さえいなくなる。
そこまで達観したうえで、浮世の波に乗った自分は引き返すことはできないと覚悟をしているのです。
「われは女成けるものを、何事のおもひありとて、そはなすべき事かは」
日記に書かれたこの一節は、一葉の嘆きなのか決意なのか。
一葉記念館でゆっくりと考えてみるのはいかがでしょうか?
台東区立一葉記念館(リンクを貼っていますので、クリックして下さい)
・交通 ・地下鉄:日比谷線三ノ輪駅 徒歩10分
・都バス(都08):日暮里駅⇔錦糸町駅「竜泉」下車 徒歩 3分
・北めぐりん:「一葉記念館入口」下車 徒歩 2分
・つくばエクスプレス:浅草駅 徒歩15分
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- 2015/07/13(月) 14:47:56|
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5月31日、新潟市で三田文学のイベント たまゆら がありました。
せっかくなので、新潟駅に行く前に途中下車。
小千谷市立図書館を訪ねてみました。
こちらには、西脇順三郎記念室があると聞きました。
そう、西脇順三郎は小千谷出身なんですね。

記念室のある3階に上がるとすぐに絵画の展示があります。
西脇順三郎の描いた絵です。
西脇は、若い頃、画家を目指していましたが、父の急死で断念しました。
絵の勉強は、美の追究の一歩だったのかもしれません。

マージョリさんの絵もあります。
西脇とは明らかに異なる色使いに筆致。強烈に惹きつけられます。

西脇順三郎文庫には、たくさんの本!

これ、実は、西脇が所蔵していた本なんです。
彼の読書の軌跡がうかがえます。
そして、ご注目ください。

古い洋書はそのまま本棚に並べておくと、どうしても紙が劣化します。
そこで、紙の劣化を遅らせるために中性紙で作ったケースに入れ、背表紙にはコピーを付けているのです。
本一冊一冊に合わせ、ケースを特別にあつらえたのだそうです。
本を大切に思う気持ちは、西脇を大切に思う気持ち。図書館の方々の心に、感激しました。
こちらの棚には主に、西脇に関連する本が揃っています。
西脇を特集した「三田文学」もありました!

棚の上に並ぶ、西脇の写真が、これらの本を温かく見守っているように思えました。
西脇の愛用品や書も多く展示してあります。

西脇順三郎の研究をしている方ならば、垂涎の書籍の数々でしょう。
そして、小千谷の皆さんが西脇を愛する気持ちが伝わってくる場所です。
何度もノーベル文学賞にノミネートされたほどの大詩人は、かけがえのない郷土の誇りにちがいありません。
西脇の来し方を知ることにより、その先へ続く道を歩もうとする次の世代が、いつの日か現れることでしょう。
そんな美と知の泉に、皆さんもぜひ足をお運びくださいませ。
小千谷市立図書館(リンクを貼っていますので、クリックして下さい)
〒947-0031 新潟県小千谷市土川1丁目3番7号
(JR上越線小千谷駅下車・徒歩25分)
- 2015/07/06(月) 11:50:24|
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ゴールデンウイークということで、東京からちょっと離れたところに行ってきました。
青森県五所川原市にある斜陽館、太宰治の生家です。
初めて訪れる地なので、すぐに見つけられるかと、心配していましたが、杞憂でした。

威風堂々とは、このことを言うのだ、と思わずにいられませんでした。
見た瞬間に圧倒されました。
しばらく外から眺めていたいとも、早く中も見てみたいとも思います。
すでに興奮は最高潮です。
さっそく建物の中に一歩足を踏み入れると、またまた息をのみました。
広い!
そして、長い年月を経た建物だからこその、重厚な空気感。
すばらしいの一言に尽きます。

斜陽館は、太宰治の父親・津島源右衛門によって建てられました。
当時の津島家は、県下有数の大地主でした。
だからこその、豪邸です。
かまども立派です。

津島家が手放した後、一時旅館として利用され、その後、旧金木町が買い取り、太宰治記念館となりました(現在は、五所川原市所有)。
旅館のときは、どのように使われていたのか、気になります。
どの部屋もどの部屋も豪華です。

襖が金!

洋間もあります。

二階へ上がる階段も素敵です。

もちろん、蔵もあります。しかも三つ!

三つのうち、二つが資料の展示室になっています。
印象的だった資料は、一枚の写真です。
まだ建築途中の斜陽館の前に、建築に携わる人たちが集まっています。
これだけ多くの人たちの手によるものなのかと、まず驚きました。
そして、彼らの眼ざしから、この労働に対しての誇りが伝わってきました。
おそらくみんな、津島氏を慕っていたからこそのことではないかと思いました。
しかしここで生まれ育った太宰治は、裕福な家がゆえに苦悩を知ります。
圧倒されるほどの家構えは、他の家とは違うということを感じさせずにいられなかったのでしょう。
中学進学のためにこの家を離れ、その後、東京で暮らすようになります。
それから戦火が激しくなると、再びこの家を訪れ、しばらく滞在しました。
このとき、太宰は何を思っていたのでしょう。
この頃に書かれた『津軽』『お伽草紙』を紐解きたくなりました。
とにかく、来てよかった、そう思いました。
そして太宰ファンならずとも、一度は行くべきだ、と思いました。
ぜひ皆さん、足をお運びくださいませ。
太宰治記念館「斜陽館」(リンクを貼っていますので、クリックして下さい)
〒037-0202 青森県五所川原市金木町朝日山412-1
(津軽鉄道金木駅下車・徒歩7分)
- 2015/06/01(月) 12:09:06|
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