旅するミタブン

文芸誌『三田文學』の歴史、ゆかりのある作家を巡る小さな旅の記録です。

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文京区立 森鷗外記念館  ~谷根千を散歩

春の暖かさを疑うことなく過せるようになってきた今日この頃。
今回の「旅するミタブン」は
文京区立 森鷗外記念館 へやって参りました。

鷗外記念館入り口

鷗外の旧居・観潮楼跡に建てられたもので、千駄木駅を出て団子坂を少しのぼると瀟洒な建物が見えてきます。

明治の文豪で陸軍軍医総監でもあった鷗外は、実は「三田文学」とも縁が深いのです。

1910(明治43)年1月、慶應義塾の幹事だった石田新太郎が「名のある文士を迎え、大学で文芸雑誌を出したい」と相談したのが、恩師である森鷗外でした。
そして、鷗外は永井荷風を推挙したのです。
荷風は「三田文学」を創刊し、鷗外は多くの小説や翻訳作品を寄稿しました。

鷗外記念館 1

地下1階の展示スペース入り口では、鷗外の胸像が出迎えてくれます。
武石弘三郎作の大理石で創られた像は、東京大空襲の際も被害をまぬがれました。鷗外記念本郷図書館が出来るまでの間、観潮楼跡は児童公園でした。
鷗外の胸像は近所の子供たちにも大変馴染み深いものだったそうです。

展示室では鷗外の一生を辿ることが出来ます。
実年齢より3歳多く偽って11歳で現・東京大学医学部予科に入学した逸話に驚かされました。
講義ノートの文字の丁寧で美しく、デッサンは繊細で人並み外れた器用さがうかがえます。

鷗外記念館 2

鷗外は小説だけでなく、演劇や美術にも大変造詣が深い人物でした。
奈良・正倉院の美術品は、以前は非公開でした。
しかし、曝涼(虫干し)をするために倉から出す必要があります。その機に有識者が拝観できるように提唱したのが鷗外でした。
鷗外のおかげで、我々は貴重な美術品を見ることができるようになったのかもしれません。
また、鷗外自身が絵付けした楽焼も展示されています。星空の下にいるミミズクが描かれていて、ロマンチックなタッチの絵でした。

鷗外記念館 3 三人冗語の石
(三人冗語の石)

2階にある休憩室から街が見渡せます。
現在はビルが立ち、埋め立てられた海は遠くなりましたが、当時は品川沖まで視界が開けていたかと思うと、感慨深いものがあります。



鷗外記念館を出て、散歩を始めます。
観潮楼の正門を出て、藪下通りを下っていきます。
桜が満開でした。

藪下通り
(藪下通り)

途中、日本大学医学部病院の脇にある階段をのぼると、そこには夏目漱石の旧居跡があります。漱石の前には鷗外も住んでいたそうです。

散歩 漱石旧居

藪下通りに戻り、すぐ先には根津神社があります。
鷗外の散歩コースです。

根津神社 門

根津神社 狛犬

散歩 根津神社 池

神社の裏には鷗外作「青年」にも出て来るS坂があります。
名前の通り、S字に曲りながら上っていきます。

散歩 S坂
(S坂)


根津神社を後にし、不忍通りを上野方面に向かいます。
根津一丁目の交差点を左へ曲がり、言問通りへ。
玉林寺の山門にある桜も満開で、花見客の一団が静かに桜を楽しんでいました。
私も山門脇にある移動式の珈琲屋さんでアイスコーヒーを買い、桜の下で一服しました。

散歩 玉林寺

玉林寺の山門から、言問通りを谷中へと上っていきます。
少し裏に入ると露地が多く、散歩にはうってつけの場所です。

散歩 路地

散歩 猫.

そうして辿りついた谷中霊園の桜は、見事なものでした。
墓地と桜はどうしてこんなにも相性がいいのでしょうか。
家族連れに囲まれながら、しばらく見惚れていました。

さて、今回の散歩で強く心に残ったのは鷗外の三男である森類のことでした。
私は、鷗外記念館の新収蔵品展パート2:「森類の生涯―ボンチコから作家へ」で初めて類のことを知りました。
森類は明治44年、鷗外の三男として生れました。長原孝太郎、藤島武二に師事して絵画を学び、次姉の杏奴とともにパリに遊学。
昭和26年に現在の記念館の場所に千朶書房を開店しました。鷗外の家族をテーマとした随筆や小説を執筆しました。
この経歴だけ見れば、恵まれた人生だったであろうと感じます。
ですが、実際の類は父・鷗外を敬愛しながらも自らを「不肖の子」と称して鷗外の威光に苦しめられます。
学業成績も父と比べられてしまうこと自体が不運なのです。
書いた小説を大家に送りますが、返信の葉書を見る限り期待しているような返事はもらえなかったようです。
類にとって悲運だったのは、父・鷗外を亡くしたのが、まだ自身が11歳の頃。思春期のまえで、反抗期も迎えていなかったのではないでしょうか。
だからこそ、偉大な父を執拗に意識せざるをえなかったのではないでしょうか。
端正な顔立ちですが、どことなく悲しそうな目をしている類の横顔が印象的です。
父と同じように、丁寧で綺麗な文字で原稿を書いていた類。
佐藤春夫に「子供たちのなかで文が鷗外に一番似ている」と言われながら大成することはなく、それでも書くことをやめなかった類。

父から「ボンチコ」(「ぼっちゃん」の意、鷗外の造語)と呼ばれ、手を引かれて散歩に行き、きっとあの満開の桜をふたりで見上げたのでしょう。


散歩 谷中霊園桜

※ 現在、文京区立 森鷗外記念館では新収蔵品展を4月19日(日)まで開催しています。
  4月24日(金)からは 特別展 谷根千「寄り道」文学散歩 が始まります。
  展示をご覧になってから、情緒溢れる谷根千(谷中・根津・千駄木)をゆるゆると歩いてみるのはいかがでしょうか。

文京区立森鷗外記念館への行き方 (リンクを貼っていますので、クリックして下さい)

reported by kurosuke
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  1. 2015/04/08(水) 14:57:34|
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Author:旅するミタブン
『三田文學』は明治43年に創刊の文芸誌です。
現在は季刊で年4回、1月、4月、7月、10月に発売されています。

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